使い捨てカメラの向こう側
群青の思い出


B カエルのシートの座り心地

昔の写真を見ていたとき、ある写真の隅に撮影された年月日があるのに気がつきました。オレンジ色で記されているその日付は「'92.12.12」。そうです、私が大学3年冬の写真です。その写真には赤いオバサンヘルメットをかぶり、ライムグリーンのジャンパーを羽織った私が、にこやかに笑いながら鬼怒川の河川敷をDT50で走っている姿が写っていました。なんとも情けない滑稽な姿である。ヘルメットは田中の愛用していたものだったと思います。ジャンパーは色からしてカワサキのものとわかりますが、これがなんとも防寒着としては風通しがよくて寒かったことをよく覚えています。

なんでこんな格好で河原を走っていたかと言いますと、このころ私のバイク先導師である田中がどこからかDT50を手に入れたことから、”これでみんなで河原でモトクロス遊びをしよう!”という話になったのでした。私たちが暮らしていた宇都宮には少し東へ行くと鬼怒川という大きな川があり、そこの河川敷はモトクロス遊びには格好な場所でした。みんな初心者なので走りは適当〜 非力なDTに振り回されてこけたり、底づきしたサスのお釣りをもらって親指の付け根を突き指したり、破茶滅茶でした。

このDTには所有者である田中によって張り替えられたものケロケロケロッピ(当時小さな子供の間でウケていたサンリオのカエルのキャラクター) の柄のシートが取り付けられていました。遠目に見る分にはわかりませんが、間近でみると跨ぐのを少し躊躇してしまいそうになるくらいインパクト がありました。何でこんな柄なのかと田中に尋ねた覚えはあるのですが、その答えは忘れてしまいました。多分、@安かった、Aこのカエルが気に入った、Bもらった、のどれかのような気がします。(違っていたらゴメンナサイ)
こんな理由からこのバイクに乗って遊んだことは、私の希薄な過去の隅に残っていたわけであります。


確かこの少し前に限定解除の試験に受かったはずでした。しかし、自己紹介にも書いてありますが、試験場に向かう途中で事故に遭いマニュアルのバイクからはひと月くらい遠ざかっていた頃のはずです。なんとなくですが、このとき事故で捻挫した左足がまだ痛かったような記憶があります。多分バイクに乗りたくてしょうがなかったのだろうと、私自身覚えてはいませんが、そう思います。

久々に乗ったバイクにご満悦な私ですね。今じゃしろと言われても誰もしない”Vサイン”をしています。(恥)
右後ろに写っているのはそのころ下駄として使っていたHi-UPです。全く写真など撮っていないはずなので、これが唯一の写真です。それなりに便利によく走ってくれましたが、スクーターは整備性がよくないのが嫌いです。今でも好きになれません。話が随分脱線しましたが、鬼怒川の河川敷には、ちょっとしたコースみたいなところもあって、できもしないのにジャンプやターンなどもやりました。結果は散々でしたね。痛い思いをして終わりましたが、”これぞバイク遊び”というオンロードには無い感覚を強く感じました。本当に楽しかった〜




学生の頃はバイク無しの生活なんて考えられませんでした。そう考えると、この時がそれを実感させられた最初の時間だったのかなぁと思います。今では当たり前のように、乗れない、触れない時間が続いておりますが、自由に時間を使えた頃にもそういった時間が存在していたんだということをすっかり忘れておりました。田中に誘ってもらって河原で遊んで、バイクっていいなぁ〜 友達っていいなぁ〜 と改めて感じた貴重な時間を、これら写真の中に残してくれた田中にとても感謝しています。




カエルのシートは私には少し硬かったョ。


つづく・・・・