使い捨てカメラの向こう側
群青の思い出 |
自己紹介にも書いていますが、私が最初に乗ったバイク(原付以外)はZ400GPでした。ミーハーな私はその限定カラーと同じ色のジャケットを着て栃木の道を楽しんだものでした。学校へ行くときも もちろん同様な格好でしたので、学友からは次第に「バッタ」と呼ばれるようになり愛車は「バッタ号」という見たまんまのあだ名をいただきました。 | |
さて、そのバッタ号と私ですが意外と写真が残っておりません。右の写真は確か大学3年のゴールデンウィークの時のものだと思います。あまりにも天気が良かったので鹿沼から足尾へ抜けて日光へと考え、出かけたときの途中でのスナップです。ここで観察力のある方なら、あれ?っと思うはずです。私が宇都宮を出たときは間違いなく”快晴”でした。が、鹿沼から峠に向かう途中から雲行きが怪しくなってきて、この写真を撮ったあたりでは完全に雨だったのでした。しばらくここで雨宿りをして天気の回復を待ちましたが、小雨だったのでそのまま峠へ向かいました。甘かったです。峠を越えて足尾に下りても雨はしっかり降っておりました。当たり前ですよね。山なんですもの。峠の向こうは晴れているなんて考える方がおかしいです。という訳で、ここから日光へは向かわず桐生へ下ることにしました。 |
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5月だとはいえ足尾の雨は冷たく、ずぶぬれになった身体は冷え切っておりました。そうです。私は雨具を持っておりませんでした。アホですね。完全にピクニック気分で出かけてきたので雨具なんて持っておりませんでした。きっと私みたいな人間が春山とかで遭難するんだろうなぁ〜 |
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ようやく桐生までたどりついたころには、すっかり雨も上がり快晴でした。時間も既にお昼を過ぎていたので、遠出はあきらめて帰路につくことにしました。この写真は何かの意図があってアスファルトを広く写したのは憶えていますが、その理由は忘れました。でもなぜか印象深い写真です。 |
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栃木南部の田園風景ですね。田植えが終わった広大な田んぼに風にたなびいて苗がサワサワと音を立てていたようなかすかな記憶があります。あまりにものどかな風景だったので写真を撮ったと記憶しています。 |
さて、ここからは随分時間が経ちまして私も社会人になってからの写真です。働き出して2年目くらいのときのものです。事故で大破したGPを修理して初めてのツーリングの写真です。行き先は新潟上越でした。上越には我がバイクの伝道師、田中が住んでおりまして、そこから佐渡へわたることになっておりました。ここは八ヶ岳あたりだと記憶しています。長野をあちこち周りながら北上していきました。 |
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この写真は佐渡スカイラインで田中に撮ってもらったものです。う〜ん、若いです。しかもまた軽装です。運良くこの日は雨に降られませんでした。早朝のフェリーで小木へ渡り、そこから佐渡を半周して日帰りしました。しかもタンデムで!無茶してましたね。でもいい思い出です。佐渡は海がとても綺麗でした。ごみが無いんです。また行きたいところのひとつですね〜 |
こうやって青春を共にした我がバッタ号ですが、結婚を機に実家へ預けられ、そのまま不動となりました。 今はもう私のものではありませんので、バッタ号と一緒に走ることはもうないかと思います。乗っていた期間は短かったですが、一番印象に残っているバイクです。 |